心の映写機


昔は仲の良かったキョーダイも

それぞれ家庭をもちバラバラに


それでも他の家庭と比べたら

頻繁に集まっている方だとは思うけど


キョーダイっ子だった私は

いくつになってもふとした瞬間に

寂しくなってしまいます



昔の思い出は眩しくて

真っ直ぐ見ようとすると胸の奥をぎゅっと掴まれる


おぼろげな記憶の中で思い出す景色は

いつだって生き生きとしている




ホースで庭の草花に水撒きをする母


普段はおとなしいけど脱走癖のある愛犬


顔を合わせれば笑顔で会釈してくれる近所の人たち


クリスマスソングを流しながらキョーダイで飾り付けるツリー


網戸から漏れる蝉の声を聞きながら竹の敷きものに寝転がる


年々立てつけの悪くなる雨戸を閉めに行くじゃんけん


裏の林から伸びた木から零れる桜の花びら



あとからあとから

溢れるほど思い出は尽きない


当たり前か

同じ体で長い長い年月を過ごしてきたのだから


過ぎ去ったけれど、なくなった過去なんかじゃない

確かに私はあそこで過ごしたのだから


もっと写真を撮っておけばよかったと思う反面、

その分頭と心に刻まれているから

それはそれでよかったのかとも思う


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のどか珠響

のんびり屋なもの書きの綴り